1 まえがき

1.1 目的

 この草稿は,私が日頃接している学生諸君が報告書や論文を手際よく執筆すること(これらをまとめて作文とよんでおく)を助けることを目的としている.これは未完成の原稿であり,永遠に完成しないかもしれないので,“草稿”としか呼びようがないものである.今後,これを実際の作文に活用し,その効果や問題点をフィードバックすることで,より完成度の高い草稿にして行くつもりである.

1.2 背景

 この草稿を書こうと思い立った理由は私の以下のような経験からである.ここ10年位のあいだ,多くの学生の原稿を読み,これを手直しする機会が数え切れないくらいあった.この手直しのために学生諸君と私の多くの時間が費やされた.この時間がまったく無駄なものだったと言うつもりはない.この時間を費やすことで,多くの研究成果が発表できたのである.しかし,もっと効率的なやり方があるはずではないかと私は最近考えるようになってきた.
 原稿の手直しに多くの時間がかかったのは,学生諸君が作文の基本を知らないことによる.この原因は,ほとんどの学生に共通するものである.それを一言でいうならば,技術と形式の欠如である.つまり,無手勝流で勝とうとしているのである.このため私は一人一人の学生にまったく同じことを数限りなく言わなければならなかった.

1.3 技能ではなく技術を

 この草稿は,いわゆる文章読本でしばしば議論される美しい言葉・感動的な文章・個性的な文体などの言葉・文章・文体に関して論じるものではない.ここで説明することは,作文のための単なる技術と形式に過ぎない.この草稿では,個人の生まれ持った才能に依存することなく,だれにでも簡単に実行でき,かつ効果が現れる作文の技術と,それを支える形式について具体的に説明することを目的としている.最近のことばで言えば,「サルにもわかる」,「はじめての」,「お気楽」,「極楽」などの形容がつくような技術と形式について説明したい.そして大学生にもわかるものを目指したい.
 この草稿で説明しようとするものは作文の技能ではなく技術である.ここで“技能”と”技術”は以下のように区別して考えている.
 技能とは,長い時間をかけた個人的な経験をつうじて習得される能力である.技能のための体系的な教科書というものは存在しない.したがって,技能は見よう見まねでつかみ取るしかないものとなる.つまり,技能は盗むものとなる.技能は,その所有者の死とともに消える運命にある.技能は個人に依存し,体系化することが難しい.
 一方,技術は,体系的な学習によって習得される能力である.その能力は個人には依存しない.このため,技術を蓄積し,教育し,学習することが可能となる.この蓄積・教育・学習によって高度な技術が実現できる.さらに,技術のために体系的な“教科書”をつくることができ,“学校”で誰でも学ぶことができることになる.技術は社会に依存し,体系化が可能である.

1.4 本草稿の構成

 本原稿は以下のような構成をとっている.
 まず,作文技術に関する本を簡単に紹介する.ここで紹介するものは,文庫本や新書本を中心として,廉価で手に入れやすいものばかりである.“とりあえず”,これらの本をいくつか読めば,作文技術が格段に向上することは疑いない.
 次に,論文の一般的な形式について説明する.ここでは,表題,著者名,まえがき,主内容,まとめ,参考文献という形式に関して説明しておく.この形式とそこに書き込むべき事項を知るだけで,作文のためのむだな労力は激減する.
 最後に,作文のためのこまかい注意事項について説明する.記号の簡単な使い方,コンマやピリオドの打ち方,英語のスペルチェック,文法などに関しての注意事項が述べてある.この注意事項は,これまで私が学生諸君になんども言ってきたことがらである.ここで述べてある注意事項に配慮するだけで作文の形式的な面の誤りは半減するだろう.このような具体的な注意事項の例を今後集めて,追加してして行くつもりである.

2 作文技術のための本と辞書

2.1 本

 日本語や英語で作文をするための技術を教えてくれる本は数多く出版されている.とくに最近では,理科系や技術関係での作文を書くという特定の目的のための優れた入門書が目立ってふえている.
 以下の本は私が自信をもってすすめられる本である.購入の容易さを考えて,低価格で手に入りやすい文庫本と新書本を選んだ.これらの本はすべて研究室内の図書としてもそろっている(注i).
  1. 木下是雄,“理科系の作文技術”,中公新書,1981年(480円).
  2. 木下是雄,“レポートの組み立て方”,ちくま学芸文庫,1994年,780円.
  3. 本多勝一,“日本語の作文技術”,朝日文庫,1982年(430円).
  4. 本多勝一,“実戦・日本語の作文技術”,朝日文庫,1994年(560円).
  5. 杉原厚吉,“理科系のための英作文法”,中公新書,1994年(680円).
  6. マーク・ピーターセン,“日本人の英語”,岩波新書,1988年(520円).
  7. マーク・ピーターセン,“続 日本人の英語”,岩波新書,1990年(520円).
  8. 小河原誠,“読み書きの技法”,ちくま新書,1996年(680円).
  9. 東大サバイバル英語実行委員会著,“理科系のためのサバイバル英語入門”,講談社ブルーバックス,1995年(760円).

2.1.1  二つの「作文技術」

 上にあげた二つの作文技術“理科系の作文技術”と“日本語の作文技術”は,明快・簡潔・わかりやすさを目的とした作文の書き方を具体的に示したものとして評価が極めて高い.最近の文章論や作文技術に関する本の中で,かならずといってよいほど引用される本がこの二つの作文技術である.
 木下是雄の「理科系の作文技術」は,題名が示すとおり,科学・技術関係の報告書や論文を書こうとしている人間を対象としている.この本では,作文というものの考え方,文・文章・段落の作り方,事実と意見の使い分け,講演の要領などに関して,具体例を交えながら詳しく説明している.当然ではあるが,この本が明快・簡潔な日本語のよい具体例となっている.著者の木下は,物理学を専門とし,この分野での研究,論文の執筆と査読の経験が豊富にある.この本には,木下の経験から得られた思想があふれている.
 この本は「理科系」の読者を想定して書かれたものであるが,より一般的な読者を対象とした姉妹編として「レポートの書き方」がある.報告書や論文を書くときに「理科系の」と「一般の」の差は本質的には何もない.この二つの本の中の作文に関する思想は完全に同じである.
 本多勝一の「日本語の作文技術」では,読む側にとってわかりやすく,あいまい性がない文章を書くための方法と原則を追求している.とくに,日本語での作文で重要な修飾・かかり受け,句読点,助詞について,文章を改良して行きながら,作文のための一般的な法則を導きだしている.この本にも姉妹編がある.これは「日本語の作文技術」を教科書とした演習書としての性格をもっている.
 二つの「作文技術」の一方の著者・木下是雄は大学で研究・教育にたずさわってきた物理学者である.もう一方の著者の本多勝一は新聞記者として長い間活動し,ルポルタージュの分野で数多くの記事を精力的に書いてきた.このように活動の舞台は異なるが,「事実」(科学的な理論や実験で得られた事実であれ,取材で得られた事実であれ)を日本語で正確に伝達する方法を作り出そうとする点で二人の目標は完全に一致している.そして,日本語で十分正確に事実を伝えることができることをそれぞれが実証している.
 本格的な作文を初めて書くときには,とりあえず二つの「作文技術」を読めというのが最近の私の口癖である.この二つの本は,実は私が博士課程に在学中に出版されたものである.そのころ,私も御多分にもれず作文が大の苦手だった.しかし,この二つの本が出たおかげで博士論文が書けるようになったのである.私の博士論文は,この二つの「作文技術」の方法論の実践結果でもある.この二つの「作文技術」は私の恩人であるといってもよい.
 この二つの「作文技術」は世間でも評価が極めて高いものである.この本がでるまでは,作文技術や文章論に関する本は,感銘を与える文章・情感のこもった文章・文豪の文章などを味わうことに主眼がおかれており,実際に作文するための具体的方法は提示していなかった.これに対して,この二つの本は,「わかりやすさ」に焦点をしぼり,わかりやすい作文を書く方法を初めて具体的に提示したといってよい.これ以降,この二つの本を引用せずに作文技術を語ることはできなくなったと言っても過言ではない.

2.1.2  日本人の英語

 マーク・ピーターセンは日本文学の研究者として来日し,その研究のかたわら日本で英語教育にたずさわったという経歴の持ち主である.来日してみてピーターセンは相当なカルチャーショックを受けたらしい.日本でのカルチャーショックと英語教育の経験をもとに,この本では日本人の英語の特質・根本的問題を論じている.
 一般に,日本人は英語が下手で,おかしな英語をしゃべったり,書いたりするといわれている.この本では,英語での発想の根本,英語での物事の捉えかた,すなわち英語の文法の背後にある英米人の根源的な思考形態を説明し,これを理解しなければ英語らしい英語はかけないということを強調している.この点で,英語で作文を書く人はこの本を読むとよい.ただし,この本に書かれていることは,英語の基本的な文法以前の問題であるために,ある程度英語に親しんだ人でなければ理解できないことがらも多々含まれている.
 この本は,発売当時,英語の教育関係者のみならず出版・ジャーナリズム関係者の間で話題になり,この本から多くの人がショックを受けた.私もショックを受けたが,私が受けたショックは,他の人が受けたショックとは全く異なっているかも知れない.それは,この本で論じられている日本人の英語に関してではなく,ピーターセンの日本語の文体と叙述に対してである.
 というのは,この本のような日本語を私は生まれてはじめて読んだのである.ピーターセンの日本語は単語からみても文法的に見ても完全な日本語である.しかし,この日本語の文章は,日本語で書いてあるが,これまでとは全く異質の日本語である.日本人が英文を日本語に訳して出てきた文章ともちがっている.この日本語の説明の手順,主張の仕方,考える道筋,説得の方法などは,日本人の日本語とは全くことなるものである.日本語をつかって日本的ではない思考形態の文章が存在するということが私にとってショックだったのである.
 英語で作文をしようとする人は,まずこの日本語の文章の強い説得力をみならうべきだろう.ここで展開されている論理的な道筋が欧米的な思考形態のではないだろうか.この本にも姉妹編がある.

2.1.3  読み書きの技法

 この本の特徴は,パラグラフの理論をよりどころにして,論理的で平明な文章を書き,かつ書物を正確に読み解いて行く方法を重点的に説明しているところにある.
 ここで言うパラグラフの理論とは,以下のように一つ一つのパラグラフを記述して行く方法論のことである.
* 一つのパラグラフで一つのトピックをのべる.
* パラグラフの第一文では,そのトピックを一つの文でまず述べる(トピックセンテンス).
* 次のいくつかの文では,このトピックを説明・補足・実証する(サポーティングセンテンス).
* パラグラフの最後では,パラグラフを決論づける文をかく(サマリセンテンス).これはトピックセンテンスの主張は同じであるが表現がかわる.
* パラグラフごとのトピックセンテンスをまとめれば,自動的にその文章全体の要約ができる.
 このパラグラフ理論は,単純明快な文章を書くための標準的な方法としてあみだされたものであろう.実際には文章表現の面白さや効果をねらって,この形態が様々に変形され使われることが多い.しかし,初心者は原則的にこれにそって原稿を書いてみることをすすめる.パラグラフの理論は木下の「作文技術」でも重要な主題の一つになっている(注ii).

2.1.4  理科系のためのサバイバル英語入門

 受験英語であれだけ鍛えられながら,なぜ我々は科学技術関係の英語の論文や教科書が読めないのか?そして,書けないのか?答えは単純である.科学技術分野には,その分野独自の英語の単語・英語の作文の方法がある.受験英語はこれを教えているわけではないということである.このことは科学技術関係だけではなく,会話・小説・評論・新聞記事に対してもいえることである.受験英語を知ったからといって,すぐに英会話ができるようになるわけでもなく,小説・評論・新聞記事がすぐに読めるようにはなるわけでもない(注iii).
 この本は,受験英語で教えられてきた英語から理科系の英語に早く脱皮するために最適の入門書である.説明や題材も現代の大学生向けに工夫されている点で親しみが持てる.また単なる英文や英会話だけではなく,英語を必要とする理科系の研究者の社会を同時に教えてくれるところもうれしい.ただし,この本の内容は,見た目には優しく見えるが,中身は意外に高度である.この本で理科系の英語の世界にまず親しんで,本格的な英語の作文技術の本を読んでみることをすすめる.

2.1.5  理科系のための英文作法

 一つ一つの英文は問題無く書くことができるとして,文と文をどのようにつないで文章を作っていったらよいのだろうか?一つの方法は,接続詞(andやbutなど)を使って文と文をつなぐことである.しかし,接続詞は,文と文がうまくつながらないときに強制的につなげる接着剤として働く.接着剤の多用は,論理の自然なながれを作ることができず,文章全体の骨格をひ弱にする.
 この本のテーマは,副題“文章をなめらかにつなぐ四つの法則”が示すとおり,英語で文章を書くときに文と文をつないで行く法則を与えている.この方法は,計算機科学の分野で発達した文章解析技術と「談話文法」から生まれた法則である.この法則は,とくに「理科系」と「英作文」に限定することなく,すべての分野でのどんな言語による作文の際にも適用できる法則である.文と文をつないで行くことにテーマを絞った本は,この本以外に私は知らない.

2.2 辞書

 日本語辞書,英日辞書,日英辞書,英英辞書,漢字辞書などの辞書を身近においておくことは作文のための必要条件である.単語の意味やその用法・漢字・送りがな・つづりなどに関して,少しでも疑問が生じたならば,必ず辞書で疑問点を解決しておかなければならない.
 重要なことは,原稿を書いているすぐそば(自分の机の上やキーボードの横)に辞書を常においておくことである.小さい辞書でよいから頻繁に利用することである.分厚い辞書では利用するのに実際上不便であるし,辞書に手をだすことが心理的におっくうになる.辞書の出版社などに関しては,どの出版社でも問題はないだろう.信頼のおける出版社であれば,どの辞書を用いてもよい.
 最近私は小型の辞書を使うことがおおい.それに,小学校のときにお下がりでもらった辞書をいまもって使っている.私の子供(小学生)の辞書や漢字辞典なども自宅では利用している.日常生活では小学生向けの辞書の方が利用しやすいことが多いからである.工学関係の原稿では,単語の微妙な言い回し(ニュアンス)がそれほど問題になることはなく,単語がもつ中心的な意味だけを知ればよい.このため,特別な場合を除いては小型の辞書でほとんどの用はすんでしまう.
 私のこれまでの経験では,計算機を利用した辞書(CDROMや,辞書専用機)は,それほど便利だとは思えない.しかし,このような辞書の方が利用しやすいと考えている人は,それを利用すればよいだろう.重要なことは,こまめに辞書を引くということである.
 もう一つ重要なことは,自分で買った自分の辞書をもち,それを使うということである.他人のふんどしで相撲はとれない.他人のふんどしでも相撲がとれるという人がいるかも知れないが,これでは相撲に勝てないだろう.辞書だけではなく,その他の本に関しても同様のことがいえるだろう.

3 論文の書き方について

3.1 論文を書き始める前に(注iv,注v)

3.1.1  締め切り

 論文の投稿に対しては普通締め切りがある.締め切りが定まっている論文を投稿しようとするときには,締め切りを守らなければならない.締め切りを守るということは,その締め切りの日までに論文を投稿すればよいということである.つまり,投稿の締め切り(例えば,○月X日の17時まで)があったときには,○月X日17時までに論文が受け取り側に到着すれば,この論文は締め切りに関しては100点満点である.
 論文に対して締め切りがある理由は明らかである.論文の受け取り側は,提出された論文を整理したり,印刷に回したり,読んだり,評価したりする.このために受け取りの時間的区切りが必要なのである.したがって,締め切り後に提出された論文に対しては,これらの処理が行われないことになっても,それは仕方がないとしなければならない.例えば修士論文や博士論文が締め切り後に提出されたとき,極端に言えば,その論文が審査されないとしてもしかたががないのである.
 一般の学会論文誌に投稿する論文に対しては,特段の締め切りはない.しかし研究成果がでたらすぐに論文を書いて,すぐに投稿するべきである.なぜならば,このような投稿論文に対しては,受け付けの日付がつけられ,この日付が研究成果の先取権を主張するときの重要な証拠になるからである.この受付日が他の論文の受付日よりも一日でも遅ければ,どんなに早く研究結果が得られていたとしても,この研究は二番煎じや三番煎じの研究としての評価を受け,大いに損をすることになる.したがって一般的な論文投稿に関しては毎日が投稿の締め切りであり,その意味では大変厳しい締め切りが設定されていると考えなければならない.
 締め切りのない論文誌への投稿がおくれたために,論文のプライオリティがとれないなどということが本当におこるのだろうかと疑問を持つかもしれない.そこで私自身の例(論文のプライオリティ)を取った例を示そう.
 私が助手になりたてのころ,私たちのグループでは2次元ディジタルフィルタの量子化誤差の問題を研究していた.この研究は,私が博士課程のときに研究していたテーマである1次元ディジタルフィルタの量子化誤差の解析と最小化の問題の2次元への自然な拡張であった.2次元ディジタルフィルタの量子化誤差の問題については,そのころ世界中では複数のグループが研究しており,その論文の発表も時間の問題だと私はその当時考えていた.我々は,このテーマに関する二つの論文をIEEEに続けて投稿し,査読の結果,二つとも掲載された.とくにあとの方の論文は,ライバルのグループよりたった2週間だけ受付日がはやいものであり,掲載日は1月だけ早かった.このため,この研究テーマに関しては我々のグループが世界で始めての結果を出したことになっている.このため,我々の論文はこのテーマの初期の研究として必ず引用されている.それも,たった2週間だけ投稿が早かったということが我々にとって大きな利益をもたらしているのである.もし,この投稿がライバルグループよりほんの少しでも遅ければ,それほど引用されることもなかったであろうし,さらには日本からの論文ということで無視されることにもなったであろう.

3.1.2  執筆要領

 学会や研究会に論文を投稿したいときに,論文の基本的な形式はどのようにすればよいのだろうか?論文の執筆のために執筆要領や執筆規定とよばれるものがあるので,基本的にはこれに従えばよい.これに従えば形式に関しては問題のない原稿ができあがる.執筆要領は自分が投稿しようとしている論文誌についているか,論文誌を発行している学会から入手できるので,それを利用すればよい.場合によって論文の投稿先の執筆要領が定まってない場合がある.例えば電気関係学会東北支部大会への投稿の場合である.このような場合には自分が主に活動していると考えている学会の投稿規程にそって原稿を書けばよい.

3.2 論文の一般的形式

 論文の一般的な形式は次のようなものである.
* 題目
* 著者名,著者所属
* アブストラクト(サマリ)
* まえがき
* 論文の本体
* まとめ(あとがき)
* 謝辞(もし必要ならば)
* 参考文献
* 付録(もし必要ならば)
* 著者紹介(もし必要ならば)

3.2.1  題目

 論文の題目は論文の原稿の中で最も重要なものである.題目は論文の名前である.名前がなければ,その論文を探したり,記録したり,引用したりすることができない.このために論文には名前が必要である.
 論文の題目は論文の価値を決める.題目によって,この論文を読むかどうかが判断されるからである.さらに,論文を読まない場合でも,題目だけからこの論文の価値を他人は単純に推測する.したがって最も重要なことは,その論文の内容が一目でわかる題目をつけるということである.このため論文の題目を決めるには細心注意を払い,時間をかけることが必要となる.

3.2.2  著者名

 単純に考えれば著者名の記述に関しては何も問題がない.この論文に関わった人間の名前を,その重要性と慣習に従ってならべるだけである.

3.2.3  著者所属,連絡先

 これも特に問題はない.正式の所属を書く.所属をどれくらいまで詳しく書くかは執筆要領に従えばよい.所属の英文名は,その組織が用いている正式名称を使う.正式名称を調べるには,その組織に問い合わせるか,その組織が出している英文のパンフレットなどを見るとよい.その他の方法としては,論文誌にすでにのっている英文所属名を参考にすればよい.ただし,これがまちがっていることもあるので注意が必要である.

3.2.4  アブストラクト(サマリ)

 アブストラクトは論文の主な内容を簡潔に要約する部分である.サマリはアブストラクトと同様のものであるが,これよりは幾分長めのものである.
 アブストラクトに記述するのは論文の内容のエッセンスである.すなわち論文の目的・研究の方法・結果を簡潔に書く.もし研究の技術的・歴史的背景が重要な場合には,それも書く.ただしアブストラクトは論文のまえがきではないので,研究の背景や他の研究に関して議論することはほとんどない.あくまでも目的・方法・結果を主体としなければならない.
 式の記述や参考文献の引用はアブストラクトの中では行わないのが普通である.多くの論文執筆要領にはこのように規定されている.ただし,特定の論文に関しての議論をすることが目的の論文であれば,アブストラクト中で文献の引用を行うこともある.
 アブストラクトは題目の次に重要な情報である.読者が題目を見て,この論文を読もうかどうかと考えたときに,次に読むのはこのアブストラクトであるからである.このアブストラクトによって論文が本当に読まれるかどうかが最終的に決まることになる.
 アブストラクトの長さは論文執筆要領で決められていることが多いので,必ずこれを守って書くことが必要である.一般には極めて少ない文字数でアブストラクトを書くように決められている.
 計算機上の論文データベースには論文のタイトルと著者の他にアブストラクトが掲載されるが,論文の本体は掲載されない.論文誌を直接みてではなくデータベースを使って論文を探すことが最近は多いので,アブストラクトには論文の内容を正確かつ簡潔に書かなければならない.
 最近の国際会議や国内会議では,アブストラクトやサマリによって論文を査読し,採否を決定することが多くなっている.このため文字数の少ない文章で自分の研究内容を十分に明確に記述・アピールしなければ,論文は採録されないことになり,海外でも国内でも発表ができなくなる.このようにアブストラクトは,論文誌に掲載された論文を読者が手にとって読むか否かを決めるだけではなく,論文の発表・掲載の可否を決定する重要な文章ともなっている.

3.2.5  まえがき

 論文の内容の理解を容易にするために,論文の実質的なはじめの部分の説明文がまえがきである.まえがきでは,この論文で取り上げたテーマ,その研究の重要性,これまでの研究の成果・問題点,自分の研究の方法などを書き,論文の構成について導入的説明を行う.まえがきは論文の内容を容易に理解してもらうための導入文であるから,論文の結果を書く部分ではない.この意味で,まえがきとアブストラクトとは全く異なる.
 まえがきは,その研究テーマや研究分野に対する著者の考え方・方法論を述べる部分であり,思想を語る部分である.このため論文本体を書くよりもまえがきを書く方がむずかしいことになる.なぜならば,論文を書こうとしているときには,その研究方法や結果(論文本体)は当然ながら固まっているはずなので,これらに関して説明する本体の部分は一気呵成に書くことができるからである.このため実際に論文を書く場合には,研究の方法や結果を先に書き,その後でまえがきをじっくりと書いた方が楽なことが多い.

3.2.6  論文の本体

 論文の本体の部分は研究内容の基礎事項の整理・理論式の展開・実験法の説明・シミュレーション・結果・考察などからなる.これらの内容と書き方は研究テーマや研究手法(理論的なものか,実験的なものか)によって異なるものの,論文の形式の上ではそれほど問題は少ない部分である.
 論文本体がうまくかけているかどうかを判断することは極めて容易である.読者がこの論文を一度読んだだけで,著者が主張したい実験結果や理論的な結果を理解し,それを完全に再現することができるようならば,この論文は書き方として合格である.逆にいえば,読者が論文を読んで行った実験なり理論計算の結果が,著者の得たものとは違っているようならば,その論文の書き方は失格である.

3.2.7  謝辞

 必要ならば謝辞を書く.謝辞が必要となるのはどのような場合か?これは一概にはいえない.その著者のおかれている研究現場の状況(指導教官との関係,職場の地位,助言者の有無など)や,その論文の種類(学会誌の論文,修士論文,博士論文)による.その研究機関の慣習によるところも大きい.最終的には著者の判断による.
 しかし以下のような場合には謝辞を書く必要がある.もしこれを書かないと思わぬところに敵をつくることになりかねないので注意が必要である.原稿の内容や執筆・研究の展開に関して有益な助言や援助(精神的にも金銭的にも)してくれた人や組織に対しは必ず謝辞を必要とする.この人は論文審査委員などとして名前がわかっているかも知れないし,論文の査読者の場合のように匿名になっているかも知れない.名前が分かっていても匿名でも,とにかく謝辞を書くべき相手に対しては謝辞を書くかなければならない.学会の論文の投稿のとき,本当に有益な助言をしてくれた査読者に謝辞を書かない場合に,この査読者が将来の見えない敵になりかねないので注意が必要がある.また最近では公的機関や財団などの研究助成をうけて研究が行われることが多い.このような援助を受けた研究の成果についての論文を書く場合には,その旨の謝辞を書く.
 謝辞のための言葉の種類はそれほど多くはなく,決まり文句がいくつかある.基本的にはそれを組み合わせればそれで十分であろう.この決まり文句は多くの場合,少々古めかしい言葉であり,我々が日常つかう言葉とは距離がある.このためどうしても過去の文例をそのまま使うことが多い.しかし最近私が思うことは,謝辞くらいは自分の言葉で書くべきだろうということである.現代の人間が書く簡潔・明晰を旨とする文章においても,それほど古めかしくはなく,現代的な謝辞の表現があるはずである.

3.2.8  参考文献

 どんな研究でも完全に新しいということはあり得ないため,これまでの研究の成果・問題点・基礎事項などを明らかにするために参考文献の引用が必要である.自分の成果が,これまでのものとどのように異なるか,これまでのものに比べてどこが新しいか,どれくらい優れているかといったことを明らかにするためにも,参考文献を引用し,比較・検討をする必要がある.参考文献を引用することで,自分の成果の範囲・重要性・オリジナリティを明らかにできる.
 参考文献としては可能な限り原典(オリジナルな論文や本)を引用する.引用する側は文献の主な内容を確認して,その内容に関して納得した上で引用する.要するに,自分で引用した文献に関しては責任をもたなければならないということである.孫引きをしたり,内容を知りもしないのに引用したりすることは許されない.このような引用を行うと,あとで怪我をすることにもなりかねない.
 参考文献のリストのなかには本文中で引用している文献だけを入れる.逆に参考文献リストの中にある論文は何らかの意味で本文中で必ず引用されていなければならない.
 アブストラクトの中では参考文献の引用は行わない.なぜならば,アブストラクトは,それ自身で独立した文章として取り扱われことが多いからである.例えばデータベースや抄録誌にはアブストラクトだけ(もちろん論文タイトルと著者名もあるが)掲載されるため,ここに文献を表す番号や記号があっても,その文献が特定できないからである.ただし特定の文献に関して論じることが論文の主目的である場合には,対象とする論文が分かるようにアブストラクト中で引用することが必要である.

3.2.9  著者紹介

これも特に問題はない.論文執筆要領と論文誌の慣習に従って書けばよい.

4 個別の注意事項

4.1 一文は短めに

 簡潔・明晰性を目指す作文では一つ一つの文を短く短くと心がけるべきである.一つの文の長短自体は本質的な問題ではないが,一つの文が長くなると,概して論旨が込み入ってきて一読して文の内容を把握しにくくなることが多い.また文が長くなると,かかり受けが不完全になることも多い.短い文ならば,このような問題点が起こりにくいということである.
 一つの文の長さに関連して注意することは,一つの文に一つの内容を盛り込むということである.一つの文に複数の内容を盛り込むと,文の印象が散漫になり,文が与えるインパクトが弱くなり,内容が把握しにくくなる.
 ついでに言えば,一つのパラグラフに一つのトピックを盛り込むべきである.逆に言えば一つのトピックが一つのパラグラフをつくる.さらに同様であるが,一つの節・一つの章・一編の論文でも一冊の本でも,それぞれの形式・長さに応じて議論の展開の深さの差はあるものの,主張することはたった一つである.さらに少し大げさにいえば,作家の生涯にわたる全集でも主張は一つであり,さらには一人の人間の一生の間でも主張できることは一つしかないと考えるべきである.

4.2 コンマとピリオドはかっこよく

 日本語の作文での読点(以下コンマ“,”)の打ち方の論理に関しては本多勝一の「作文技術」を参照していただきたい.ここには,コンマの機能とその打ち方に関しての単純明快な原則がある.以下ではコンマの打ち方の形式に関する最低限の規則を述べたい.
 まず次の三つのコンマの打ち方のうち,どちらが適切かを考えてほしい.
a) I have a book, and you have a pen.
b) I have a book,and you have a pen.
c) I have a book ,and you have a pen.
a)では,文字のすぐ後にコンマを打ち,空白を入れて,その後に文字を書いている.b)にはこの空白がない.c)では文字のあとの空白の次にコンマを打ち,その後に文字を書いている.
 a)がコンマの打ち方として妥当なものである.c)は論外である.この理由として次のような二つの理由が考えられるだろう.単語や文章を区切る役割をもつコンマは,その後ろではなく,その前にある単語に属するというのが一つの理由である.他の一つの理由は見栄えである.b)の方は,コンマの左右にある文字がコンマにベタッとくっついて見栄えが悪い.
 同様な理由でピリオド“.”に関しては,次の三つのうちa)がよい.
a) I have a book. You have a pen.
b) I have a book.You have a pen.
c) I have a book .You have a pen.
 標準的な英語・日本語の論文誌や書籍をよく観察して,このようなコンマとピリオドの打ち方を確認してほしい.ただしピリオドの記号“.”には文字列の区切りを表すと同時にくっつける働きもある.例えば12.345やfilname.texのように使われる場合である.このようなものは上の議論からは当然除外される.
 多くの学生の文章中ではb)のようなコンマとピリオドの打ち方が頻繁に現れる.私の想像では,計算機中のファイル名の拡張子をつけるためのピリオドの使い方をそのまま文章中に適用しているので,こんなやり方になるのではないだろうか.
 数式や記号が英文の一つの文の最後に来るときでも,必ず終わりにピリオドをうつ.英文中の式や記号は文法上は名詞や名詞句として扱われるため,通常の名詞や名詞句と同等の扱いになるからである.

4.3 漢字は適度に使用

 かな漢字変換機能を使って文章を書く場合には,漢字の使用のしすぎに注意しなければならない.自分では決して使わないような漢字や,自分では書けそうもない漢字を数多く使って文章を読みにくくすることは,初心者がよくやる失敗である.これは,かな漢字変換機能を使って,ひらがなを手当たりしだい漢字に変換して行くことによって起こる.漢字が多くなりすぎると,論文が読みにくくなる.木下是雄がいう“字面が白くなるように”書くと言うことは,この問題にも関連している.
 どのような文字や単語を漢字として書くかに関する指針には以下のものがある.
* 執筆要領ですすめている漢字とかなの使い分けを採用する.
* 常用漢字(2000字程度)の範囲で書く.
* 中学校までに習った程度の漢字で原稿を書く.
* 自分の手で文章を書くときに漢字で書く文字や単語は漢字で書く.
要は,機械に振り回されることなく,機械を完全に自分のコントロール下におくということである.

4.4 印刷すべし

 文章の推敲と校正は紙に印刷した原稿をみて行わなければならない.ワープロや計算機のディスプレイ上で推敲と校正ができないわけではない.しかしディスプレイは紙に比べて狭く見にくいために,ディスプレイ上の原稿は読みづらくなり,推敲と校正には不便である.それに,紙の上に書かれた論文を読者はみるのであるから,他人が(読者が)自分の論文をどのようにみるかをより客観的に考えるために,当然,印刷した原稿によって推敲と校正をする方がよい.できれば最終形態に近い形に印刷して原稿を眺める方が推敲と校正の緊張感もましてよいと思う.

4.5 図と表

 図のキャプションは図の下に書き,表のキャプションは表の上に書く.これがキャプションの一般的な位置である.とくに問題がなければ,原稿中の図と表の配置は図や表が現れるページの上におかれることが多い.標準的な出版物をみて,実際にこのことを確めてほしい.この理由は,図や表が下方にあり,ページの下の方が白くあいたように見えると,ページの見た目の安定性に欠けるからだと私は想像する.ただしページや図・表の都合によって,これにあてはまらない配置もしばしばある.

4.6 基数詞と順序数詞

 n 回(基数詞)と第 n 回(順序数詞)の違いは誰にでもわかるだろう.しかし,実際の文章では,基数詞と順序数詞の混乱が多い.言うまでもなく,前者は回数がnであることであり,これはn=1ならば単数であり,n>1ならば複数である.後者は,n番目の回で,これは単数である.伝統的な日本語では,この基数詞と順序数詞の区別がハッキリとはできていないのだという.

4.7 冠詞,三単現のs,単数・複数など

 英語で論文を書く場合には文法的に完全な英文を書かなければならない.ここで“文法的に完全な”とは,中学校程度の文法でみて完全であるという程度の意味である.この程度の文法に従うことはいたって簡単なはずである.しかし現実には英文の原稿中にかなり多くの文法上の初歩的まちがいがある.このような初歩的なまちがいが多いと,論文の内容も初歩的な部分でまちがっている(簡単に言えば,大マチガイ)と読者(査読者)が考えても無理はない.第一,このような論文を読む気にはなれないだろう.もし論文が読まれなければ,その価値はゼロとなってしまう.
 実際に次のような点での初歩的な文法の誤りが多い.
* 冠詞の aとanの付け間違い
* 冠詞 a (an)とtheの使い分け
* 冠詞 a (an)のついた名詞が複数形になる
* 三単現のsがあったりなかったり
* 自動詞を他動詞や受動態として使ってしまう
* 語尾の変化のまちがい(動詞の過去形・過去分詞形・名詞の複数形)
 これらに関連する文法は誰でも知っているだろう.しかし実際の原稿には以上のまちがいが本当に多い.この規則はきわめて単純であり,全く形式的なことであるため,まちがえるはずがないことである.
 原稿を書く人は自分の書いた原稿を(すくなくとも一つ一つの文ごとに)客観的にみて,チェックすべきである.自分の書いた原稿に,ほんの少しでもあいまいなところがあると感じたならば,辞書や文法書(中学生の教科書や受験参考書程度でよい)で確認しなければならない.しかし私のこれまでの経験でわかったことは,実はこの指示は不十分な指示であるということである.つまり“ほんの少しでもあいまいなところがあると感じたならば”,そのようにしなければならないが,そう感じなければ,そうしなくてもよいというのが,この指示の論理的な帰結だからである.
 英文原稿の文法的チェックとは幾分はなれるかもしれないが,書いた原稿がわかりやすいかどうか,読みやすいかどうか,文法的まちがいがないかどうかを考えるためには,声にだして原稿を読んでみるとよい.声を出して読みにくい原稿は,どんな読み方でも(黙読でも精読でも熟読でも)読みにくく,わかりにくく,文法的なまちがいがあるものになっているのに違いないからである.

4.8 送りがなとスペルチェック

 日本語でも英語でも原稿を書く際には,計算機やワープロによる送りがなのチェックやスペルチェックを必ず行った方がよい.このような文字列の単純なチェックの仕事は計算機が最も得意とすることであるから,この機能は是非とも使った方がよい.
 もっとはっきり言えば,使わなければならないのである.このチェックをせずに,送りがなが適切ではなく,スペルミスがある原稿を出す場合がしばしばある.これが少しでもあると,著者の推考が不十分であると見なされる.計算機やワープロを使って原稿を書いている現在では,送りがなのミスやスペルのミスはゼロにできるといってよい.このような単純ミスがある原稿は,極めて不注意で不完全な原稿であると現代の多くの読者は考えるであろう.
 かな漢字変換の機能を使うと思わぬ誤変換をするので注意をすることが必要である.例えば“符号”(ふごう)はよく“符合”となってでてくる.計算機によるかな漢字変換でまちがって書かれる単語は,人間がまちがって書く単語とだいぶ異なる.このため,かな漢字変換には十分注意しなければならない.要は,機械を盲信することなく,自分の目でたしかめながら書くということが必要であるということである.
 原稿の単語やスペルのチェックのためにも,前述のように最終形態に近い形に原稿を印刷して,これをながめた方がよい.

4.9 文章の個性

 この草稿で述べたことや,その他の作文技術の本で紹介されている標準的な方法で原稿を書こうとすると,分かりやすい文章が簡単に書けるかも知れないが,文章に個性がなくなるというおそれを抱くかもしれない.これに関しては次の二つのことを答えておこう.まず,文章の個性よりは分かりやすさを優先することが作文の第一の目標である.したがって個性のない文章でもかまわない.次に,私が見る限りでは,このような方法で文章を書いたからといって,文章に個性がなくなることありえないと思う.それは,長いあいだ同じような教育を受けてきても,人それぞれに声の質が異なり,口調が異なり,考え方が異なっていることと同じであろう.
 余談になるが,学会や研究会にでかけると様々な人たちと知り合いになることが多い.その人たちが書いた論文を,その人たちの口調や癖をまねてまねて読んでみると,いままで難しいと思っていた論文が意外に分かりやすくなることが多いことを最近私は発見した.このことを“謦咳(けいがい)に接する”と昔の人は言ったのだと思う.

4.10  らぬき言葉
 “食べれる”・“来れる”・“見れる”などのいわゆる“ら抜きことば”を日常生活でつかったり,原稿中でつかうことは,それほど問題がないと私は個人的には考えている.なぜならば,このことば使いで十分正確に意味をつたえることができるからである.この“ら抜き言葉”を見たり聞いたりして,意味を取りちがえる人はいないだろう.
 このような意味で,この言葉がなぜマスコミをにぎわし,話題になるのか私には分からない.マスコミや評論家は単なる単語に目くじらをたてるのではなく,会話や文章の論理的構造にこそもっと注意を向けるべきだろう.なぜならば,単なる単語の間違いや単語が時代とともに変化することは,会話や文章の論理性に比べれば小さな問題だと私は考えているからである.会話や文章の論理性に関して記事を書いたり,コメントしたりすることは,そうたやすいことではない.このため多くの人が単純に興味をもち議論できる“ら抜きことば”という単語を話題にするのではないだろうか?
 それほど問題がないと私が先に書いたのは,すこしは問題があるからである.すなわち“ら抜き言葉”にはデメリットがあるからである.いま思いつくデメリットを二つあげてみよう.
 * 文章で用いられることばは,どの時代においても多かれ少なかれ会話で用いられることばとは異なっている.具体的に言えば,意味や用法が安定した言葉,すなわちすこし前の時代の言葉が文章中では使われる.また,論文では,あいまいさのない叙述をすることが目標であるから,多くの読者にとって共通のことばをつかうべきである.したがって,より安定していて,広い範囲で受け入れられる言葉“らあり言葉”を論文中では用いた方がよいことになる.この点で“ら抜き言葉”にはデメリットがある.
 * “ら抜きことば”に関して,多くの人間がどのように受け取るかも考える必要がある.現在でも,この言葉は気持ちがわるいと感じたり,品がないと感じたりする人は多い(私もその一人である).この点では“ら抜き言葉”にはデメリットがある.
 以上のような“ら抜き言葉”のデメリットを考えると,論文を書くためには“らあり言葉”を使った方がよいと考えられる.したがって,現代の(1990年代)の論文では“らあり言葉”を用いることを私はすすめる.

5 付録または蛇足

5.1 私がこだわる理由

 このごろ私が作文技術にこだわっている理由は,実は1.2で述べたようなことだけではなく,他にもあるのである.というのは,日本語で作文をするということと,数学の式を書くこと・計算機のプログラムを書くこと・英文を書くことは,すべて関連していると私は考えているからである.これらは,日本語と英語,自然言語と数式・計算機言語という違いはあっても,特定の文法と単語に基づく広い意味での作文であることには違いない.したがって,これらの中の一つの作文ができるようになると,他の作文もできるようになるのではないか?逆にいえば,一つの作文ができないと,他の作文もできないのではないかと私は心配している.我々の研究・教育の日常において,以上の作文技術はすべて不可欠のものである.だから私は最近“作文”に興味を持ち,こだわっているのである.
 広い意味での“作文”の能力には相関があるということを十分に説明する時間はいまはないので,思いつく例をあげてみよう.例えばD. クヌース(計算機科学者,TEX開発者)・L. ランポート(LATEXの開発者)・R. ストールマン(Emacsの開発者)は計算機関係の分野で優れた仕事をしており,優れたプログラマーでもある.彼らの書いた英文のエッセイやマニュアルは単純明快な英語で書かれていて,本当に読みやすい.我々に身近な科学の分野でも寺田寅彦・岡潔・湯川秀樹・朝永振一郎などは,科学の分野で優れた業績をあげていると同時に,優れた評論や随筆を著している.さらに話を芸術の分野にまで飛躍させて考えてみれば,岩城宏之(指揮者)・武光徹(作曲家)・柴田南雄(作曲家)・平山郁夫(画家)なども,彼らの活動の中心となっている芸術の分野で優れた業績を残していると同時に,評論・随筆の分野でも魅力的な仕事をしている.これらは偶然のことだろうか?

5.2 作文技術のための勉強法

 作文技術の“受動的な勉強法”としてのほとんど唯一の方法は,日ごろから論文を数多く読むことであろう.ここで受動的とは,作文をせずに作文に関して勉強するということである.これは,英会話の能力を高めようとするときに,英語のテープを聞いたり,英語のビデオを見たりすることに相当する.この勉強だけで英会話ができるようになることは期待できないが,英会話の現場を知り,聞き取り能力を増すためには必要なことだろう.これと同様に,論文を読んだからといって,それがすぐに作文の能力に結びつくことにはならない.しかし論文を読んだことがなければ,作文ができないであろう.したがって論文を読むことは作文のための必要条件といってよい.
 ここで言う論文とは,ある事柄について論じている文章や報告している文章・説明するための文章である.科学技術関係の報告・原著論文・解説だけではなく,計算機関連のマニュアル,さらには小説・随筆・評論・新聞社説なども論文として広く考えてよい.作文技術の向上を目指して読むべき論文は読むに値する論文である.読むに値する論文とは,事実または真実の十分な裏付けがあり,論理性の高いものである.
 上で述べたことと同様なことであるが,自分の関連する分野の優れた教科書をじっくり読むことも作文技術の向上に役に立つ.とくに米国からは優れた教科書が数多く出版されているので,これを読むとよい.できれば英語でそのまま読むのがよい.英語では読むのがつらいならば,そのきちんとした訳本を読むとよい.訳本でも説明の仕方・論法・説得力などが十分にわかる.また教科書ではなく,科学技術分野のジャーナリスティックな本もよい.これに関しても米国から多くのすぐれた書籍が出版され,翻訳も多い.科学技術分野のジャーナリスティックな本を読むと,研究の背景や研究者のエピソード・思想などがわかって面白い.


注i: 紹介したい本がまだまだたくさんある.とても書ききれないので,これだけにしておく.もっと知りたい人は私に直接たずねてください.

注ii: 私はパラグラフを意識して原稿を書いているつもりだが,パラグラフの理論を意識して原稿をかいたことはない.これから,この理論にしたがって原稿を書いてみるつもりでいる.

注iii: 私は受験英語を否定するつもりはない.このおかげで,数多くの英単語(1万語?)が覚えられ,基本的な文法,熟語があんなに短時間で覚えられるからである.あとは,英語を利用する現場にあわせて,頭を切り替えることが必要なだけである.

注iv: 原稿を書く前には,書くべきこと・書きたいことがあり,それがまとまっていることが望ましい.しかし実際には,自分では内容がまとまっているつもりでも,いざ原稿を書こうとすると,実験や計算の不足・資料の不足・考察の不足などが出てくる.したがって原稿を書く前に内容が固まっていることが理想であるものの,原稿を書きながら内容も確固としたものにして行くという方法を取らざるをえない.また,それで十分である.

注v:原稿を書くためには,どのような内容をどのような順番でかくかということに関しての計画を練り,これを目の前に出して客観的に眺める必要がある.私は,論文に書くべき項目・順番を頭の中だけではで組み立てることができないたちなので,紙の上に何回も書き直して計画を練る.この計画を練るときには,いろいろなことが頭の中でバラバラに現れてくるので,それを何枚もの紙の上に書き,この紙を机の上でならべなおしたりする.いわば,多次元空間中に現れるランダムな情報を一次元の直線の上に秩序よくならべる作業が原稿を書く前には必要となっている.この多次元・ランダムな情報を直線の上にのせることが私にとっての論文を書く作業の重要な部分である.このような作業は,ワープロやエディタでは効率が悪くてとてもできない.ワープロやエディタ上では,もともと直線的な思考しかできず,多元的な情報を処理することには向かない.これはやはり紙を使ってやるのがよいと私は思っている.